本当に暑いですね…最近こんな会話ばかりです。
工房内も34度どころか37度近くになる日もあり、日々の健康管理に気をつけています。水分補給、和食中心の食事、十分な睡眠、適度な運動などを心掛けています。
主人は日中の仕事が大変なせいか、熱帯夜にも負けず、熟睡できるようです。食欲もあり夏バテしていません。少しでも納期遅れを挽回しようと日々制作に励んでいます。
7月下旬に出荷を終えました神奈川県の鈴木忠様が書かれた本「クマムシ?!」のご紹介をしたいと思います。この本は突然鈴木様より我が家に届きました。
「う?なんだ、クマムシ…?」と思いながら、ムシなるものにはほとんど興味のなかった私ですが、読みやすい文章と美しい挿絵や写真に惹かれてあっという間に読み終えてしまいました。
「乾燥すると樽型に変身!真空、高温、高圧、放射線にも耐え、レンジでチンしても平気。120年間水なしでも行き続ける生物がいるー?それは体長1mm以下の微小な生物・クマムシ。
不死身伝説の真偽、18世紀からの研究の歴史、試行錯誤で飼育する笑いと苦労の物語など、生物研究のオモシロさ満載。
身近なクマムシの観察方法や、ファン必見の図版も多数掲載」(本の裏表紙より)
鈴木様は愛知県生まれで、現在は慶應義塾大学医学部専任講師をしていらっしゃいます。名古屋大学では昆虫変態に関する生理、生化学を学びつつ、古き時代の発生学に憧れ、また当時存在した画廊兼酒場「がらん屋」で様々な人間模様を学ばれました。
2000年にクマムシの世界にはまり、2005年より1年間、コペンハーゲン大学動物学博物館で海産クマムシの卵形成を研究されました。
学習机本書は岩波書店の岩波科学ライブラリー122です。ご興味のある方は是非読んでみて下さい。この書に関連し、最近では「クマムシを飼うには」という本も上梓されたそうです。
鈴木様からはお声も頂き、「これからこの机で読書したり勉強をしたりするのが楽しみです。」とご感想を頂きました。
暑中お見舞い申し上げます。
今年の夏は例年より猛暑の到来が早く、梅雨寒も感じないまま夏本番を迎えました。
工房内も大型扇風機2台がフル稼働していますが、34度を超える日もあり作業効率が悪くなっています。
体調に気をつけながらも連日制作に励んでおりますので、完成をお待ちのお客様、大変ご迷惑をおかけしておりますが、どうぞ今しばらくお待ち下さいませ。
今回は先日お客様の声においても掲載致しました横浜市の中華料理店「広東名菜 福鼓樓(フッコロウ)」様をご紹介したいと思います。
先月6/25よりプレオープンし、若いご夫妻で頑張っています。
お店の内装は、信頼する設計士さんにお願いされ、施工時にはご自身も床や柱の塗装をしたり、内装のモザイクを工務店さんと共に作ったりと、店造りに積極的に参加されたそうです。
その為、「とても愛着が湧いて仕上がりに満足しています」とおっしゃっていました。
お勧めメニューは、「蟹肉入りふかひれあんかけチャーハン」「季節野菜の自家製XO醤炒め」「海老・イカ・エリンギの塩味炒め」との事です。美味しそうですね。
「テーブル、とても好評です。やはり無垢材はいいですね。ウレタン塗装も気にならず、ラタンの椅子とも相性が良いです。良い品を有難うございました。」と後日再度メールを頂きました。
7/31まではプレオープン(期間中10%OFF)期間となっていますので、お近くの方は是非足を運ばれてみて下さい。
広東名菜 福鼓樓(フッコロウ)
〒233-0001 横浜市港南区上大岡東1-2-13 HARU102
TEL&FAX:045-225-8692
HP:http://www.fuccorou.com
韓国ドラマを観始めると日本のドラマを観なくなると言いますが、本当にそうですね。
以前の便りにも韓国ドラマを話題にしましたが、相変わらず毎晩(私は昼間も)夫婦で韓国ドラマを1話ずつ観ています。
最近「商道」という2001年の史劇を観終わりました。これは、賤民から従三品の官職にまで登りつめた朝鮮時代最高の富豪である商人イム・サンオクの生涯を描いた50部作で、実存するイム・サンオクの生涯をチェ・イノという作家が小説化してベストセラーとなったものをさらにドラマ化した作品です。
「財上平如水 人中直似衡」(財物は平等さが水のようで、人は直さが秤のようだ)というこの文章はイム・サンオクの遺言です。
平等で水のような財物を独占しようとする愚かな財産家は必ずその財物によって悲劇をこうむり、秤のように真っ直ぐ正直ではない財産家はいつか必ずその財物によって破滅するだろうという深い意味の込もった名句だそうです。
これはチェ・イノがこの時代の資本家たちに語りかけた警告と忠告であるだろうとも言われています。
湾商の都房ホン・ドゥクチュが言った「商売とは金ではなく人を稼ぐことだ。利益ではなく人を残すものだ。人を稼ぎ残すのが商売だ」がずっと心に残っています。
「商道」はともすれば人生観、今後の生き様を変えるかもしれません。それほど心に深く刻まれた感動的なドラマでした。
「大長今(チャングムの誓い)」「茶母(チェエオクの剣)」「ファンタスティックカップル」「君はどの星から来たの」「ファッション70」「魔王」もオススメです。昨夜からは同じ監督の大作「ホジュン(1999年制作)」を見始めました。
父の日のお花今月の15日は父の日でしたが、次男が花束をくれました。
母の日よりグレードアップして綺麗ですね。
今年も我が家の玄関につばめがやって来てもうヒナがかえっています。
玄関の水掃除が日課の毎朝です…。
つばめは人や猫の認識ができるのでしょうか?
主人や私が玄関にいても親鳥は攻撃をしてこないのですが、他の人が玄関に立った時はすごい勢いで攻撃してきます。
猫に対しても、ニャンコには何もしないのですがクロには攻撃してきます。
不思議ですね。
母の日のお花今月の11日は母の日でしたが、次男が花束をくれました。
小さなものでも手作りは嬉しいです。
ゴールデンウィークも今日が最終日でしたが、当工房はお客様がいらっしゃることもありお休み無しでした。その間主人は相変わらず制作に追われております。
今回は当工房の人気作品の一つであります「胡桃チェアー(ダイニングチェアーE)」の制作の様子をお伝えしたいと思います。胡桃(クルミ)が基本の材なのですが、タモやブラックウォールナット、チェリー、ハードメイプルなどでも制作した事があります。
厚さ約40mmの板より削りだす座刳りは、鉋(カンナ)を使って手作業で行われます。大変な手間と時間を要しますが、この座刳りの作業を施す事によって、お尻にフィットした座り心地の良い椅子が出来上がるのです。
座板の制作が終わったら、後ろ脚2本をヌキで接合し、背もたれ部を制作します。それから前脚2本をヌキで接合し、前脚部を制作します。
前脚部と背もたれ部が完成したら、それらを4本のヌキで接合します。
そして、軽くカーブさせた三日月形のラダー(背もたれ)を上部にはめ込むとフレームが出来上がります。
座板を固定すれば完成です。オイル塗装を施しますと美しいつやのある椅子となります。
文章で表現しますと実に簡単そうですが、この椅子に限らず、椅子全般の制作はほぞとほぞ穴の加工、またパーツが多い(画像は4脚分)事もあり、大変手間暇を要します。
ほとんど機械を頼らない手仕事となるところも多いため、お値段も市販されている椅子に比べ高くなります。
今回は一枚板の変わり様についてお話したいと思います。
切り出されたばかりの大きな一枚板は水分を含んでいますのでずしりと重い上、手で触れてみると冷たく感じます。それを自然乾燥、人工乾燥を施す事によって、水分が飛ばされ、割れや反りも出て、家具として使える状態になります。
テーブル用の一枚板天板はプレーナーで反りを落として平面にします。それから鉋仕上げ、サンダー仕上げに入ります。主人は職人暦23年の経験と勘で仕上げ方を変えているようです。
栃(トチ)、欅(ケヤキ)、タモもそれぞれ木の持つ特質を生かして仕上げています。正に木との対話ですね。至福の時であるとも言っています。この一枚板がどれほど美しく変化していくのか、楽しみであるようです。
それから数回オイル塗装を施しお化粧の完成です。女性のお化粧も素肌が綺麗でないと塗りも悪いですよね。
写真上2枚は栓の一枚板の変化です。桟積みされている原木はこんなに汚いのですが、どうです、この変わり様!
次の2枚は栃の一枚板の変化です。元画像はプレーナー仕上げはしてありますが、最終仕上げとオイル塗装を施す事によって、杢がくっきりと浮かび上がり絹のようになりました。
次の2枚は欅の一枚板の変化です。欅の美しい木目を消さないように仕上げます。オイル塗装を施す事によって欅らしい色合いに変化します。
これからも様々な一枚板と出逢い、変化を楽しんでいきたいと思っています。
最終日は知り合った皆さんとホテルのロビーで記念撮影をしてから首都ヴァレッタへ。マルタ・ストーンとも呼ばれる特産の蜂蜜色の石灰岩の建物が300にも及び、道は騎士団栄光のままに真っ直ぐに続いています。
昔ながらの景観をとどめる町は、1980年にユネスコの世界遺産に登録されています。こういった街並みを歩いていると日本では味わえない歴史を感じます。快晴なのでクリーム色の建物に空の青さが映えていますが、建物の間隔が狭いのでどうしても道路は日陰になってしまいます。
ヴァレッタのメインストリート、リパブリック通りには商店や銀行、カフェが並んでいます。広場で山盛りのアイスクリームを食べてから、騎士団長の宮殿、聖ヨハネ大聖堂の見学をしました。
騎士団長の宮殿内の兵器庫通路は、色大理石が床を覆い、脇には甲冑が並んでいます。現在は大統領府と議会が置かれているので見学できるのは5室のみとなっていますが、どの部屋も華麗なタペストリーや絵画が飾られ、マルタ製の家具が置かれています。「給仕の間」では輝くような黄色のタペストリーが飾られていますが、ここでは12~18歳の若者16人が詰めて騎士たちの雑用を引き受けていました。
聖ヨハネ大聖堂は、マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた教会です。外観は簡素ですが、内部は実に絢爛豪華です。堂内には「聖ヨハネの斬首」があります。
アッパー・バラッカ・ガーデンに向かう途中のマルタの国旗を称えたエレガントな建物がオーベルジュ・ドゥ・カスティーユ(現首相官邸)です。そして、アッパー・バラッカ・ガーデンからはグランド・ハーバーとスリー・シティーを一望する素晴らしいパノラマが広がります。
街中と建物を存分に見学した後でしたので、眼前に海が広がった時はびっくりしました。ガイドブックや地図はあるのですが歩いている時はほとんど見ていないので、「ここがグランド・ハーバーなんだ~!」って感激でした。飛行機の時間の関係上長くはいられませでしたが、ここから眺めた景色は一生忘れないと思います。
今回の旅では添乗員さんの三浦由季子さん(偶然主人の兄と知り合いでした)に大変お世話になりました。若くて細身ながらとてもパワフルなベテラン添乗員さんです。
年に数回行く夫婦の旅は、主人にとっては仕事の疲れを癒すものとなり、私にとってはハッスルする機会(旅程は全て私が担当しています)になっています。
翌朝は歴史に彩られた漁村マルサシュロックへ。船先に目(悪天候や不漁を避ける魔よけ)が付いたカラフルな船がとても可愛らしい港町です。(残念ながら写真にはないです)
1565年にトルコ軍大包囲戦の時やフランスのナポレオン軍の侵入した場所ですが、1989年に旧ソ連ゴルバチョフと米ブッシュ大統領が冷戦終結を宣言した「マルタ会議」が行われた事でも有名な街です。小さな市が開かれていて、蜂蜜、レース編み等が安い値段で売られていました。
それから陸続きの高い岩礁が年月をかけて波と風でえぐられて造られた自然の洞窟「青の洞窟」へ。アズール・ウィンドーもそうでしたが、自然が産み出す造形美は素晴らしいです。
その後、タルシーン神殿の見学へ。今から5千年前くらいに建設され、いくつかの部屋に分かれており、主に動物を祀ったと言われています。写真は巨石をくり抜いた火鉢です。
昼食を兼ねて古都イムディーナとその外に広がる庶民的な町ラバトへ。イムディーナは城壁の町という意味で16世紀にはヴァレッタに先だって首都が置かれていました。マルタ・ストーンの家々が迫り、どこまでもくねくねした狭い道路が続いています。今や「静寂の町」となっています。
ラバトでは聖パウロ教会、聖パウロの地下墓地を訪れました。かび臭くてすぐに出たいと思いましたがそうもいかず説明を聞いていました。お金持ちは個室のお墓、貧乏な人は大部屋、というように死後の世界でも区別されていたようです。写真は埋葬の際に会葬者がお別れの食事をしたと言われている大きな岩を使った「アガペ・テーブル」です。
イムディーナのメインゲートを抜けると大聖堂が見えてきます。 堂内は金銀で彩色された彫刻、聖パウロの難破を描いたフレスコ画、床一面には華麗な色大理石の墓碑が並んでいます。
一旦ホテルへ戻ってからヴァレッタの夜景を見ながら夕食。マルタの食事は基本3ディッシュからなっています。2日目のディナーはペンネのトマトソース、グリルチキン、温野菜、ココナッツ風味パンナコッタ、3日目のランチはゴゾ風キッシュ、タコシチュー、フルーツカクテル、4日目のランチは前菜アラカルト、ビーフシチュー、ケーキ、今夜のディナーは野菜スープ、カジキマグロソテー、アイスケーキでした。口に合わないものもありましたが、美味しかったです。
次回に続きます。
絶景を見た後はゴゾ島の首都ヴィクトリアへショッピング。ヴィクトリアは以前単にラバト(アラビア語で町)だったのですが、ヴィクトリア女王在位25年を記念して改名されました。
繊細なレース編み、騎士団たちを飾った金銀細工、ヴェネツィアングラスの技術を踏襲したガラス製品が有名です。また最近人気上昇中のマルタワインと香り豊かで濃厚なゴゾの蜂蜜も美味しいです。
マルタの産業は漁業、農業(ワインと蜂蜜)、観光とわずかな工業です。住民の足も年代物のバスが主流で、狭い道路に日本では考えられないような古い車がびっしりと縦列駐車されています。どうもバンパーは押し出すためにあるようです。
子供たちはスクールバスで学校に通っているのですが、このスクールバスの運行は最優先されます。私たちのバスの運転手さんもスクールバスの運転のため途中で帰ってしまいました。文句を言っても全く通用しないのでガイドさんも諦めています。
ちなみに、マルタでは大学まで教育費を全て国が持ってくれるそうです。ガイドさんが「助かるわ~」と言っていました。だから大人ものんびりしているのですね。
石畳の道路の両側には、所狭しと住宅やお店が建っています。どの家も石灰岩を積み上げたものでほぼクリーム色。一番驚いたのは立派な玄関ドアが個性豊かにあることです。中には夏場の厳しい日差しから守るためにすだれのようなものをかけている家もありました。
ショッピングを済ませてから高台にあるチタデル大城塞へ。元はゴゾ島の住民が海賊や異民族の侵入を防ぐために建てたもので、17世紀の騎士団の時代に度重なるオスマン・トルコ軍や海賊の侵攻に備えてより強固に再建されました。今や観光客の賑わいのみで物々しい城塞の割にはとても静かな町になっています。さらに上に上っていくと辺り一面見渡せる高台になっています。
町の入り口には大聖堂が建っています。建築当初はドームが載るはずだったのが資金不足のためとりやめとなり、そのため遠近法を駆使した「だまし絵」により、壮大なドームがあたかもそこになるかのような錯覚を与えています。イヤホンで説明を受けたのですが、その時はよく意味が分からず、家に帰ってガイドブックを読んで納得した次第です。
夕刻にはイムジャールの船着場を後にし、再びフェリーでマルタ島に戻りました。
次回に続きます。
翌朝はマルタ島の北西約6キロに位置するゴゾ島に渡りました。この島は地中海に浮かぶ島の中でもその美しさは随一の島です。
思ったより大きなフェリーで何故かドイツ人が多かったです。
30分くらい揺られてイムジャールの船着場に到着。人口約26000人で島ならではののんびりした風景ですが、歴史の古さに驚きです。今から7千年程前からすでに人が住んでいたそうです。
地中海沿岸では最古の建造物と言われているシャガンティーヤ神殿(BC40世紀~)を見学しました。
周囲は高さ8mにも及ぶ石積みの壁で囲まれ、あるものは数トンにも及ぶ巨大なサンゴ質の石灰岩が整然と積み上げられています。ここから眺める空の青さが素晴らしかったです。
島全体が石灰岩で構成され、樹木が自然に生い茂るところがないため、雨量の少ない夏は緑がなく、雨季の冬になってやっと緑が鮮やかになります。
地表のほとんどはオリーブとサボテンばかりで、小さな畑の周りには小石が積み上げられています。まるで積み木のようです。
次にカリプソの洞窟へ。ここはホメロスの叙情詩「オデッセイ」で歌われ、妖精カリプソがオデッセウスを愛の虜として7年間閉じ込めた洞窟です。
洞窟は小さくて、とりたてたものはありませんが、ここからはゴゾ島最高といわれるラムラ湾のサンディ・ビーチの美しい眺めが広がります。この海を眺めていると時間が経つのを忘れてしまいます。
そして、風と波の浸食によって造られた自然のアーチ…アズール・ウィンドーへ。紺青の海がのぞく印象的な景観でした。
またちょっと立ち寄ったプールのようなシュレンディ湾の断崖の上には洞窟に続く遊歩道が広がり、スキューバーダイバーたちが海に飛び込んでいました。
次回に続きます。