日記

2008-11-22
主人の姪の結婚式

紅葉真っ盛りの季節になりました。
主人に時間が取れなくて、今年も紅葉狩りには行けそうにありません。
犬山の寂光院、美濃の大矢田など近くに名所はたくさんあるのに残念です。

11月8日に主人の姪の結婚式が千葉県のホテルニューオータニ幕張でありました。
夫婦で招待を受けたので3年ぶりに新幹線に乗って東京→千葉まで出向きました。
新幹線の内装がシックな紫色になっていて、席と席の間もゆったりしていると感じたのですが気のせいでしょうか。飛行機のエコノミーでもこれくらいゆったりしてもらえると嬉しいのですが…。

結婚式に出席したのは何年ぶりでしょう。若いカップルが初々しくて、本当に素敵な結婚式でした。
披露宴の最後に姪が言葉を述べたら、もう義兄が号泣で、義姉がハンカチを差し伸べていました。どこでも「花嫁の父」は同じなんですね。
わが家には娘がいないのでちょっと安心です。

結婚式の会場が幕張という事もあって、前日は東京ディズニーシーへ行って来ました。ディズニーランドの方は若い頃に家族で行った事がありますし、私がやっていた英語教室の生徒の引率で何度も行った事があるのですが、ディズニーシーは初めてでした。

平日という事もあってとても空いていて、ほとんどがファストパスを取らなくても楽しめましたが、年齢的なものなのか、以前のような感動がないんです…。
どうしても「創られたもの」という印象が拭えないのと、お土産もミッキーがついてない方がいいって思ってしまって…主人はもう嫌々という感じでした。^^;

久しぶりの都会はとっても疲れました。

主人の姪の結婚式 主人の姪の結婚式 主人の姪の結婚式 主人の姪の結婚式

2008-09-30
フィジー旅行記3

ここではフィジーについて少しご紹介したいと思います。
フィジーは330もの島々からなり、陸地面積は四国とほぼ同じです。国の産業は観光業が第一位、次いでサトウキビ産業となっています。

お土産売り場では砂糖がたくさん売られていました。人口の半数をフィジー人が占めており、残りはインド人となっています。
クーデターもあったりして、フィジー人とインド人との間には「見えない溝」があるようです。それが埋まるのは難しく、のんびりとした南の楽園も根深い問題も抱えています。

主島はビチレブ島で国際空港のあるナンディや首都スバ、港のあるラウトカなどの主要都市があります。
ラウトカからは、1島1リゾートといったママヌザ諸島行き、「青い珊瑚礁」で有名になったヤサワ諸島などへのクルーズ船が発着します。

気候は年間を通じて恵まれており、月平均気温は23~28度、日中の平均気温は28~32度で、ここ美濃加茂の夏よりはるかに過ごしやすいです。
一応、雨期が12~4月、乾期が5月~11月で、私たちが訪れた6月は乾期に当たります。

どの島でも素晴らしい笑顔と歌で現地のスタッフが歓迎してくれます。

真っ白な砂浜、帰りのクルーザーから眺める水平線に沈む黄金の夕日、吸い込まれそうなラグーン、ただひたすら海を眺めて過ごす贅沢な時間…滞在中が全て快晴だった事もあり、南国の良さを100%満喫できました。

フィジー旅行記3 フィジー旅行記3 フィジー旅行記3 フィジー旅行記3 フィジー旅行記3 フィジー旅行記3
フィジー旅行記3 フィジー旅行記3

2008-09-26
フィジー旅行記2

翌日からは3日間、マナ島、アムヌカ島、キャスタウェイ島を大型クルーザーで巡りました。
それぞれの島まで片道1時間半くらいの日帰りでしたが、島や海を眺めながら心地よい海風に当たりました。

私たちは日に焼けないように日陰の位置にいたり、どうしても日の当たる時はバスタオルをかぶったりしていましたが、外国人は全然平気なんです。
最近日本では紫外線の危険性や日焼け防止が盛んですが、体中が真っ赤なのに全く意に介さず、という感じです。

それから、外国人は他国の人であっても気軽に話しかけ、すごく熱心に会話しています。
私たちも初日の船でキャスタウェイ島のレストランで働いている男性に話しかけられ、ただでさえ英語を聞き取ったり話すのが大変なのに、フィジー人の英語は少し訛っているのでとても聞き取り難く(言い訳?)、とても疲れました。
しかし、何とか会話をする事ができて、現地事情が分かりました。

明くる日の船ではタスマニア島から来ている男性から話しかけられたのですが、その男性は交通事故で頭に大きな損傷を受け(「触って」と言われ触ってみたら陥没していました。)、少し言葉に障害があるのかますます聞き取れなくて(言い訳?)、しかし、とても熱心に話してくるので、無い能力を使い果たしとても疲れました。

…という事もあって、3日目の船では「最後なのでゆっくりしたい」という思いもあり、人が集まらない席に座りました。
おかげで景色を眺めながら、ゆったりした時間を過ごす事ができました。

3日間とも同じような海を航海するので、島の名前が段々と分からなくなってきました。
マナ島は大きな島なので桟橋があってクルーザーが停泊できますが、アムヌカ島やキャスタウェイ島に渡るには近くで小船に移るのです。それが結構恐くて、ドキドキでした。

マナ島は昔から開発されているリゾートアイランドでちょっと古い感じがしました。
アムヌカ島は開発中のリゾートアイランドで、海も設備もとても綺麗でした。遠浅の海をカヌーで珊瑚礁のある段差まで行き、そこに浮かべてあるイカダに乗ってパンをあげると魚が寄ってくるんです。(そこにいた外国人の親子にパンを分けてもらいました。)
水の恐い私はシュノーケリングができないので、残念で仕方ありません。

キャスタウェイ島はトム・ハンクス主演の映画「キャスタウェイ」で有名になりましたが、実際撮影が行われた島は近くのモドリキ島だそうです。この島は木陰のスペースが作られていて、大半をそこでごろんとして過ごしましたが、南半球は冬ということもありアムヌカ島やキャスタウェイ島は空いていて、青い海と空を独り占めしているようでした。

フィジー旅行記2 フィジー旅行記2 フィジー旅行記2 フィジー旅行記2 フィジー旅行記2 フィジー旅行記2
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2008-09-23
フィジー旅行記1

夏休みで混雑する前の6月に南国フィジーへ行ってきました。
中部国際空港からの直行便はなく、韓国の仁川国際空港での乗り継ぎとなります。
ルックJTBでの飛行機とホテルのみがついているツアーだった事もあり、日本人はほとんどいませんでした。

いつもなら乾季のこの時期、ここずっと大雨続きなので、とても心配でしたが、ナンディ国際空港に着いた時は晴れていてほっとしました。
聞くところによると、前日までは大雨で街中が洪水状態になり大変だったそうです。乾季にこんな事はめったにないそうで、これも地球温暖化の影響でしょうか。
地面はまだ濡れていましたが、蒸し暑いながらも快晴なので一安心しました。

宿泊先のウエスティンホテルのあるデナラウ地区内のスーパーでは、思ったより品揃えが多いのでびっくりしました。
デナラウ地区内は無料のシャトルバスを利用してホテル間やレストラン街を移動できます。

ホテル内のレストランでフィジー料理の昼食を食べましたが、もっと濃厚な味かと思いきや意外にさっぱりしていて日本人好みに感じました。とても美味しかったです。

コテージでの宿泊では広くて迷子になりそうでした。特に主人は方向音痴なので一人では出歩けない…と言っていました。
レストラン、プール、ビーチサイドが一体化しているのはまさに南国のリゾートホテルです。

フィジーではあいさつは全て「ブラ~」です。最初は戸惑いましたが、慣れると快適で帰ってからもしばらく夫婦間で「ブラ~」って言っていました。

ホテル前のビーチに沈む夕日が素敵で何度もシャッターを押したのですが、こんな写真しか撮れませんでした。
デジカメにもいろいろ機能が付いているのですが、もうついていけなくて…。(ちなみに主人はもっとダメです。)

夜になったらプールサイドで運良く火踊りのステージが始まり、火縄を落としたりとハプニングもありましたが、頑強な男性たちと写真撮影もできてラッキーでした。

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フィジー旅行記1

2008-03-21
マルタ共和国旅行記5

最終日は知り合った皆さんとホテルのロビーで記念撮影をしてから首都ヴァレッタへ。マルタ・ストーンとも呼ばれる特産の蜂蜜色の石灰岩の建物が300にも及び、道は騎士団栄光のままに真っ直ぐに続いています。

昔ながらの景観をとどめる町は、1980年にユネスコの世界遺産に登録されています。こういった街並みを歩いていると日本では味わえない歴史を感じます。快晴なのでクリーム色の建物に空の青さが映えていますが、建物の間隔が狭いのでどうしても道路は日陰になってしまいます。

ヴァレッタのメインストリート、リパブリック通りには商店や銀行、カフェが並んでいます。広場で山盛りのアイスクリームを食べてから、騎士団長の宮殿、聖ヨハネ大聖堂の見学をしました。

騎士団長の宮殿内の兵器庫通路は、色大理石が床を覆い、脇には甲冑が並んでいます。現在は大統領府と議会が置かれているので見学できるのは5室のみとなっていますが、どの部屋も華麗なタペストリーや絵画が飾られ、マルタ製の家具が置かれています。「給仕の間」では輝くような黄色のタペストリーが飾られていますが、ここでは12~18歳の若者16人が詰めて騎士たちの雑用を引き受けていました。

聖ヨハネ大聖堂は、マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた教会です。外観は簡素ですが、内部は実に絢爛豪華です。堂内には「聖ヨハネの斬首」があります。

アッパー・バラッカ・ガーデンに向かう途中のマルタの国旗を称えたエレガントな建物がオーベルジュ・ドゥ・カスティーユ(現首相官邸)です。そして、アッパー・バラッカ・ガーデンからはグランド・ハーバーとスリー・シティーを一望する素晴らしいパノラマが広がります。

街中と建物を存分に見学した後でしたので、眼前に海が広がった時はびっくりしました。ガイドブックや地図はあるのですが歩いている時はほとんど見ていないので、「ここがグランド・ハーバーなんだ~!」って感激でした。飛行機の時間の関係上長くはいられませでしたが、ここから眺めた景色は一生忘れないと思います。

今回の旅では添乗員さんの三浦由季子さん(偶然主人の兄と知り合いでした)に大変お世話になりました。若くて細身ながらとてもパワフルなベテラン添乗員さんです。

年に数回行く夫婦の旅は、主人にとっては仕事の疲れを癒すものとなり、私にとってはハッスルする機会(旅程は全て私が担当しています)になっています。

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2008-03-16
マルタ共和国旅行記4

翌朝は歴史に彩られた漁村マルサシュロックへ。船先に目(悪天候や不漁を避ける魔よけ)が付いたカラフルな船がとても可愛らしい港町です。(残念ながら写真にはないです)

1565年にトルコ軍大包囲戦の時やフランスのナポレオン軍の侵入した場所ですが、1989年に旧ソ連ゴルバチョフと米ブッシュ大統領が冷戦終結を宣言した「マルタ会議」が行われた事でも有名な街です。小さな市が開かれていて、蜂蜜、レース編み等が安い値段で売られていました。

それから陸続きの高い岩礁が年月をかけて波と風でえぐられて造られた自然の洞窟「青の洞窟」へ。アズール・ウィンドーもそうでしたが、自然が産み出す造形美は素晴らしいです。

その後、タルシーン神殿の見学へ。今から5千年前くらいに建設され、いくつかの部屋に分かれており、主に動物を祀ったと言われています。写真は巨石をくり抜いた火鉢です。

昼食を兼ねて古都イムディーナとその外に広がる庶民的な町ラバトへ。イムディーナは城壁の町という意味で16世紀にはヴァレッタに先だって首都が置かれていました。マルタ・ストーンの家々が迫り、どこまでもくねくねした狭い道路が続いています。今や「静寂の町」となっています。

ラバトでは聖パウロ教会、聖パウロの地下墓地を訪れました。かび臭くてすぐに出たいと思いましたがそうもいかず説明を聞いていました。お金持ちは個室のお墓、貧乏な人は大部屋、というように死後の世界でも区別されていたようです。写真は埋葬の際に会葬者がお別れの食事をしたと言われている大きな岩を使った「アガペ・テーブル」です。

イムディーナのメインゲートを抜けると大聖堂が見えてきます。 堂内は金銀で彩色された彫刻、聖パウロの難破を描いたフレスコ画、床一面には華麗な色大理石の墓碑が並んでいます。

一旦ホテルへ戻ってからヴァレッタの夜景を見ながら夕食。マルタの食事は基本3ディッシュからなっています。2日目のディナーはペンネのトマトソース、グリルチキン、温野菜、ココナッツ風味パンナコッタ、3日目のランチはゴゾ風キッシュ、タコシチュー、フルーツカクテル、4日目のランチは前菜アラカルト、ビーフシチュー、ケーキ、今夜のディナーは野菜スープ、カジキマグロソテー、アイスケーキでした。口に合わないものもありましたが、美味しかったです。

次回に続きます。

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2008-03-13
マルタ共和国旅行記3

絶景を見た後はゴゾ島の首都ヴィクトリアへショッピング。ヴィクトリアは以前単にラバト(アラビア語で町)だったのですが、ヴィクトリア女王在位25年を記念して改名されました。

繊細なレース編み、騎士団たちを飾った金銀細工、ヴェネツィアングラスの技術を踏襲したガラス製品が有名です。また最近人気上昇中のマルタワインと香り豊かで濃厚なゴゾの蜂蜜も美味しいです。

マルタの産業は漁業、農業(ワインと蜂蜜)、観光とわずかな工業です。住民の足も年代物のバスが主流で、狭い道路に日本では考えられないような古い車がびっしりと縦列駐車されています。どうもバンパーは押し出すためにあるようです。

子供たちはスクールバスで学校に通っているのですが、このスクールバスの運行は最優先されます。私たちのバスの運転手さんもスクールバスの運転のため途中で帰ってしまいました。文句を言っても全く通用しないのでガイドさんも諦めています。

ちなみに、マルタでは大学まで教育費を全て国が持ってくれるそうです。ガイドさんが「助かるわ~」と言っていました。だから大人ものんびりしているのですね。

石畳の道路の両側には、所狭しと住宅やお店が建っています。どの家も石灰岩を積み上げたものでほぼクリーム色。一番驚いたのは立派な玄関ドアが個性豊かにあることです。中には夏場の厳しい日差しから守るためにすだれのようなものをかけている家もありました。

ショッピングを済ませてから高台にあるチタデル大城塞へ。元はゴゾ島の住民が海賊や異民族の侵入を防ぐために建てたもので、17世紀の騎士団の時代に度重なるオスマン・トルコ軍や海賊の侵攻に備えてより強固に再建されました。今や観光客の賑わいのみで物々しい城塞の割にはとても静かな町になっています。さらに上に上っていくと辺り一面見渡せる高台になっています。

町の入り口には大聖堂が建っています。建築当初はドームが載るはずだったのが資金不足のためとりやめとなり、そのため遠近法を駆使した「だまし絵」により、壮大なドームがあたかもそこになるかのような錯覚を与えています。イヤホンで説明を受けたのですが、その時はよく意味が分からず、家に帰ってガイドブックを読んで納得した次第です。

夕刻にはイムジャールの船着場を後にし、再びフェリーでマルタ島に戻りました。

次回に続きます。

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2008-03-10
マルタ共和国旅行記2

翌朝はマルタ島の北西約6キロに位置するゴゾ島に渡りました。この島は地中海に浮かぶ島の中でもその美しさは随一の島です。
思ったより大きなフェリーで何故かドイツ人が多かったです。

30分くらい揺られてイムジャールの船着場に到着。人口約26000人で島ならではののんびりした風景ですが、歴史の古さに驚きです。今から7千年程前からすでに人が住んでいたそうです。
地中海沿岸では最古の建造物と言われているシャガンティーヤ神殿(BC40世紀~)を見学しました。

周囲は高さ8mにも及ぶ石積みの壁で囲まれ、あるものは数トンにも及ぶ巨大なサンゴ質の石灰岩が整然と積み上げられています。ここから眺める空の青さが素晴らしかったです。

島全体が石灰岩で構成され、樹木が自然に生い茂るところがないため、雨量の少ない夏は緑がなく、雨季の冬になってやっと緑が鮮やかになります。
地表のほとんどはオリーブとサボテンばかりで、小さな畑の周りには小石が積み上げられています。まるで積み木のようです。

次にカリプソの洞窟へ。ここはホメロスの叙情詩「オデッセイ」で歌われ、妖精カリプソがオデッセウスを愛の虜として7年間閉じ込めた洞窟です。
洞窟は小さくて、とりたてたものはありませんが、ここからはゴゾ島最高といわれるラムラ湾のサンディ・ビーチの美しい眺めが広がります。この海を眺めていると時間が経つのを忘れてしまいます。

そして、風と波の浸食によって造られた自然のアーチ…アズール・ウィンドーへ。紺青の海がのぞく印象的な景観でした。
またちょっと立ち寄ったプールのようなシュレンディ湾の断崖の上には洞窟に続く遊歩道が広がり、スキューバーダイバーたちが海に飛び込んでいました。

次回に続きます。

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2008-03-05
マルタ共和国旅行記1

「地中海に浮かぶ世界遺産の宝庫」と呼ばれているマルタ島。

イタリア半島の靴形先にあるシチリア島の南に浮かぶ淡路島の半分程度の小さな島です。

作年の11月、中部国際空港22:45発エミレーツ航空を利用し、ドバイ乗り継ぎキプロス島を経由し、やっとの思いでマルタ島に到着しました。旅立つ前はこんなに長時間の移動は大丈夫だろうかと不安でしたが何とかなるものですね。

今や大変なお金持ちのドバイの空港は早朝にも関わらず活気に満ちていました。異国に来たな~って気がしました。
人気の金製品も売っていて、正札を見たところ「え、こんなに安いの!?」という価格でしたので、思い切って買おうかなと思いましたが、帰りに時間があるからとやめて良かったです。
1グラムを商品単価と間違えていました。^^;
クレジットカードの請求書を見て卒倒するところでした。

首都ヴァレッタの街が一望できるダルビッシュ港で記念撮影。
ヴァレッタは1565年のトルコ軍によるマルタ攻略の「大包囲戦」の勝利の後、聖ヨハネ騎士団長ジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレッタによって築かれた城砦都市です。う、高校時代に学んだ世界史が頭をよぎる…。

スリーマ地区(海岸沿いに広がる近代都市)を散策したり、セント・ジュリアン(かつての漁村)を車窓より眺めて地中海に面したラディソンSASベイポイントホテルへ。
地中海は海の青が深いです。それに波も豪快。吸い込まれそうでした。

もうすぐ夕食なので眠ってはいけないと思いつつ、睡魔に襲われす~っと眠りに入ってしまいました。
時差と疲労のせいなのでしょう、意識が朦朧とした中での夕食でした。

次回に続きます。

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2007-07-28
石垣島・西表島旅行

やっと東海地区は梅雨が明けました。また強烈な暑い夏がやってくるのでしょうか?

ゴールデンウィークの少し前に石垣島と西表島に行ってきました。
沖縄の空、海の色はやはり夏場が一番なのですが、あの日差しにはちょっと耐えられなく、海辺を散歩したりはできません。
4月の沖縄はちょっと暑いですが、散歩したりトレッキングをしたりするにはちょうど良い季節でした。

一番上の画像の海は、西表島で泊まったホテルの裏にある「月が浜」という海岸です。 海亀の産卵でも有名なところできちんと保護されています。
この海の青さに魅了されて人は何度も島に足を運ぶのでしょうね。

浦内川遊覧船に乗って上流に行き、マリュドゥの滝やカンピレーの滝へのトレッキングにも挑戦しました。
この季節でさえ汗だくになってしまったのだから夏場は無理でしょう…きっと。
お弁当を持っていかなかったのでお昼はサーターアンダギーと沖縄黒糖プリッツと水だけ。^^;

西表島と言えば、由布島へ渡る水牛車ですね。おじさんが三味線で唄を聞かせてくれました。 水牛は1年に1頭しか出産をしないそうですが、水牛車を引くには2~3才くらいから調教を始め、 早い水牛で半年、普通は約1年でお客様を乗せて車を引く事ができるようです。 由布島の海岸からは小浜島が見えます。

最終日は沖縄本島に寄り、当工房のお客様でもあります鶴田様ご夫妻に再会致しました。 車で南部知念城跡近くにあるハーブたっぷりのアジアン創作料理「くるくまの森」へ連れて行って下さり、ランチを共にしました。
鶴田様ご夫妻は沖縄に魅了され、10月~6月は沖縄、7月~9月は横浜という生活をされています。羨ましい限りです。

気が付けばこの旅行以来、主人は休み無しの状態が続いています。
お墓参りのためお盆は2日間はお休みを取らないと…。

2個目のつばめの巣のひなたちも無事に巣立ちしました。
1羽だけなかなか飛び立てず心配していましたが、何とか飛び立ったようです。

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2007-03-18
北京~5つの世界遺産を訪れる旅~

もう春かと思っていたところ、寒波の到来で風も冷たく寒い日が続きます。
桜の開花予想もずれ込みそうですね。
少し前に夫と「北京~5つの世界遺産を訪れる旅~」に行きました。
中国へは初めての旅行となります。夫にとっては5ヶ月ぶりのオフとなりました。

北京を訪れて驚いたことはまず交通ルール。
片側6車線もある広い道路を車、自転車、人が行き交っているのです。
勇気のある人勝ちのようで、日本では考えられない交通ルールです。

それからトイレ事情。
世界遺産に登録されている建物内やレストラン内のトイレでもまずペーパーはありません。それにとても不衛生。
女性は本当に困ります。…でも、考えてみれば少し前の日本もそうでした。

早朝より「万里の長城」に登りましたが、前夜からの霧が開けきらず、まるで雲上を登って行くと言う感じでした。一番上の写真の通り、傾斜がすごいのです。

冬の北京は厳寒なのですが、今年はここも暖冬でいつもの名古屋の寒さと同じくらいに感じました。 雪もなく、もし雪が積もっていたらこの階段と坂は滑って登れないと思います。 しかし、テレビや本で見るあの広大な風景を見ることができなくて残念でした。

広東料理の昼食を終え、三輪自転車に乗って旧市街「胡同」を散策しました。
(黄色い三輪自転車に合わせてか、運転してくれる方々は皆黄色いベストを着ていました。) 私はこの散策が一番楽しかったですし、心に残っています。
代表的な民家の中も案内されましたが、外から見るよりはるかにきれいになっています。 民宿をやっているそうですが、どうも裕福な家庭のようです。
中にはバラックのような家もあり格差がすごいです。

美しい景色や偉大な建造物を見るのも旅の楽しみですが、やはり何と言ってもその国の人々と交わり、文化を知ることが旅の醍醐味だとあらためて思いました。

晴れてはいるのですが、スモッグなのか黄砂なのか空はすっきりしません。北京はどこを見ても土埃で、近代的なビルも霞んで見えます。
そんな中でも「天壇公園」は美しい公園でした。園内で退職したお年寄りがトランプをしたりダンスをしたり楽器を演奏している姿がとても微笑ましかったです。

「天安門広場」に来て、「あ~、北京なんだ」って初めて感じました。本当にテレビで見るのと同じですね。 その広さにも圧倒されました。天安門広場の大通りは今では自転車より車の方が多いようです。

2008年に北京オリンピックが開催されるため、急ピッチで工事が進められています。地下鉄も突貫工事で広く開通するようです。
近代的なビルの間にある屋根の上から草が生えている家々、リヤカーに荷物を一杯積んで広い道路を横断している人々…私はとても違和感を感じました。

しかし、広大な大地を持つ中国には不思議な魅力もあります。
今度は上海、桂林、西安、そして海南島を訪れてみたいです。

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北京~5つの世界遺産を訪れる旅~

2006-11-08
鹿児島・屋久島旅行

この3連休に紅葉狩りに行かれた方も多いのではないでしょうか。
今年は台風がなくて、落ち葉が少なく綺麗だそうです。この辺りの紅葉の名所はまだまだですね。

さて、少し前に夫と鹿児島と屋久島へ行ってきました。屋久島は夫が前から行きたいといっていたところです。
1993年のユネスコの世界自然遺産に登録され、島の約75%が山岳地帯、大小の滝や川が至るところにある水の島でもあります。

鹿児島では霧島温泉郷にある大浪池登山に挑戦しました。普段山登りをしていない私たちにとってはまさに挑戦で、登りは一杯休憩を取らないと息がハーハーしてしまい登れないのです。
しかし頂上から眺める大浪池と韓国岳の山並みは美しかったです。

泥湯で有名な宿に泊まったのですが、その泥湯が臭くて、美肌になるため我慢しようと思ったのですが、3分ともたず、洗い流してしまいました。
しかし、しばらく肌がすべすべで効果はあったようです。

ヤクスギランドは150分コースに挑戦したのですが、ここは初心者でも大丈夫なところです。
それでいて、屋久島の持つ神秘的、幻想的なムードにもたっぷり浸れますのでオススメです。

屋久島は北と南では気候が全く違うようで、宿のある南は快晴だったのですが、「もののけ姫」の舞台とも言われる白谷雲水峡は霧が深く、1時間コースを回るだけにしました。
それでも霧が深かったおかげで、幽玄の世界に入り込めました。途中、屋久鹿とにらめっこもしました。

島内一周のドライブの途中に立ち寄った永田いなか浜は、海亀の産卵地なのですが、海と砂浜がとっても美しかったです。

宿は海の胡汀路です。ご夫妻のお人柄、料理の美味しさ、コテージの清潔感、海を眺められる露天五右衛門風呂、コテージからの景色の美しさに感動致しました。

旅の醍醐味は何といっても食べ物ですが、鹿児島の黒豚とんかつ、黒豚しゃぶしゃぶ、屋久島の飛び魚の刺身、鹿肉、亀の手…どれもこれも美味でした。

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2006-08-10
東北二大祭り

土日祝日、お正月、お盆休みも取れない夫の息抜きであります夫婦の旅行…今年4月よりWEB担当便りでご紹介させて頂いております。

今回は、念願でありました東北二大祭り「秋田の竿燈祭り」と「青森のねぶた祭り」に行ってきました。
共に最終日であり大変な混雑でしたが、竿燈祭りは桟敷席で、ねぶた祭りは昼間運行は桟敷席で(あまり意味はありませんでしたが)、夜は海上運行と花火を桟敷席ではありませんが、五所川原からいらしたご婦人のご好意で最前列で観る事ができました。

竿燈祭りの「大若」と呼ばれる竿燈は、高さ12メートル、提灯46個、重さ50キロもあります。
それを人が5つの基本技「流し」「平手」「額」「肩」「腰」で操ります。幼い頃からの練習の積み重ねで成せる技が観衆を魅了します。

私もこれを観た時はぐっと込み上げてくるものがありました。
「どっこいしょオ、どっこいしょ」の掛け声と共に上がる竿燈!倒れそうになる事もあります。
幼若、小若、中若…小さな頃から祭りに参加している子供たちが伝統を継承していく姿には胸を打たれました。

ねぶた祭りの海上運行と花火大会はそれはそれは美しいものでした。
1台あたり2千万円程と言われている大型ねぶたが、多い時で22台街中を運行します。
最終日だったため、夜は賞を取った5台の海上運行のみでしたが、「ラッセ、ラッセ…」の掛け声と共に港を運行する姿は圧巻でした。
祭りも良かったですが、五所川原のご婦人と青森弁を交えての会話は旅の良い思い出となりました。

お天気にも恵まれ、十和田湖の青と空の青が日常を忘れさせてくれました。

東北二大祭り 東北二大祭り 東北二大祭り 東北二大祭り 東北二大祭り

2006-06-30
沖縄旅行

昨日は工房のある美濃加茂市のお隣、多治見市で最高気温が35.2度と今年一番の暑さを記録しました。 本当に暑かったです。今日は朝から雨で暑さも一休みといったところですけど…。

少し前に沖縄に行ってきました。梅雨時のため、南国特有の照りつけるような日差しを避ける事ができたので、レンタカーを借りドライブを楽しみました。

10年くらい前に家族で訪れた時は、息子2人も一緒でしたので、マリンスポーツ三昧で、真っ黒に日焼けしてしまい、悲惨な目にあいました。
しかし、沖縄の美しい海と琉球料理の美味しさが忘れられず、是非又行きたいとずっと思っていました。

沖縄本島最北端の「辺戸岬」から眺める断崖(与論島も見えました)、ブセナの「万国津梁館」のカフェテラスから眺める青い海がとても素晴らしかったです。
万国津梁館は2000年九州・沖縄サミットのメイン会場として歴史に名を刻んだところです。

ジンベエザメや通称マンタで有名な「美ら海水族館」も楽しめましたし(チンアナゴがとっても可愛かったです)、沖縄舞踊「エイサー」の迫力もすごかったです。

「首里城」と「ひめゆりの塔」も行きたかったのですが、今回は時間が取れず行けなかったので、是非またチャンスを作り、訪れてみたいと思っています。

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2006-05-20
九州旅行

ゴールデンウィークの前に休みを取り、九州へ行って来ました。
二人とも九州は初めての地で、どこへ行こうか、どの宿に泊まろうか、と思案していましたが、中部国際空港から大分空港に入り、別府、湯布院、黒川温泉、阿蘇、熊本と回り、熊本空港より岐路に向かいました。

別府の地獄めぐりは「少し古いな~」と感じましたが、それも又良し。
NHKの朝の連続TV小説で有名になった由布岳の美しさ、湯布院のお湯のまったりとした心地よさも素晴らしかったです。

黒川温泉の情緒ある雰囲気も格別でした。
でも温泉手形だけは考えもの…宿で静かに休みたいと思っている人にとっては、あまり有難くないかな?

他にも、韓国人のツアー団体に圧倒された阿蘇山の雄大な景色や、あわてて見た熊本城の暑かった事など、楽しい旅となりました。

工房に篭りっ放しの主人にとっては貴重な骨休みになったと思います。
これからもこういった小さな旅を続けていきたいです。

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2005-12-15
恵那峡湯元温泉

私WEB担当は、両親に伴い恵那峡湯元温泉(恵那峡国際ホテル)へ湯治に行ってきました。 湯治プランってびっくりするほど安いんです。
温泉三昧がメインですから、お料理は家庭的ですが、お年寄りにはその方が食べ過ぎなくていいと思います。

先月に行った下呂のお湯はまったりっていう感じでしたが、ここのお湯はとにかく塩っ辛い! ナトリウム、カルシウム、塩素イオンが極めて多く、多成分高濃度の高張性弱アルカリ性温泉としてかなり強い塩味を持っているそうです。

雪景色の露天風呂も風情がありました。
新しく開通した東海環状自動車道の美濃加茂インターを利用すると、1時間もかからず着いてしまいます。
恵那峡遊覧船もありますし、桜の季節はとっても美しいですので、遠方から当工房にいらっしゃいます方は是非訪れてみて下さい。

恵那峡湯元温泉 恵那峡湯元温泉 恵那峡湯元温泉

2005-11-28
下呂温泉

私WEB担当は、両親と紅葉真っ盛りの下呂温泉に行ってきました。
(夫は家具の制作に、次男は受験勉強にと追われていまして、一人で楽しんできました。すみません。)

下呂観光ホテルに宿泊したのですが、若いカップルが多いのにはびっくりしましたが、20代限定の宿泊サービスをやっていると聞き納得。
ロビーには一枚板を使った大変に立派なテーブルが数点置いてありましたが、さすがに一枚板のテーブルは見栄えがしますね。

ホテル内のいたるところに民芸調の家具も置いてあり、とっても落ち着けました。 少し離れたところにある野天風呂から眺める紅葉も素晴らしく、思わずシャッターを…。
下呂のお湯はぬるっとした肌触りで、お肌がつるつるになります。
遠方より当工房にいらっしゃったお客様も数組下呂温泉に泊まられています。

下呂温泉 下呂温泉 下呂温泉

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